馬込加代子

馬込 加代子(まごめ かよこ)

不穏

幼少期、父親はお酒を飲むとよく暴れていました。家庭人とは真逆のタイプで自分の楽しみを優先する人でした。私に対して手をあげることはなかったですが母に対するDVは年々ひどくなっていくように見えました。父が酔っ払って暴れると母が子ども達を車に乗せて父が寝静まるまで夜のドライブです。

小さい頃の私は無邪気で明るい子だったようです。

私は全く覚えてませんが小学校1.2年生くらいまで「もうすぐ◯◯さんが来るよ」と言うと必ずその人が訪ねて来てねっとちょっと不思議な子だったと最近になって母が話してくれました。閉塞感からか無意識の領域が広がっていたのかもしれません。

私が小学校の高学年になる頃には父は精神も病んでいていつもいつ暴れ出すのかと親の顔色を見つつ、母親を守らなくちゃいけないという思いで安定感のない生活が続いていました。
こんな状況で私自身も小さい頃の奔放で明るい性格は影をひそめ内向的になっていったように思います。
そんな生活が10年ほど続いた後、両親が離婚。

ホッとしました。これで穏やかに暮らせる。生活に余裕はありませんでしたが私は本来の自分を少しずつ取り戻していきました。高校生活とアルバイト。充実した毎日でした。そして就職、結婚と人生の中で1番穏やかな時期でした。

転機

結婚から12年、夫が病いに倒れました。病院からの電話はスローモーションの様にゆっくりと流れていたことを今も覚えています。

死の淵を彷徨った夫は1年かけてリハビリをしましたが以前の仕事には就けず2人で家庭を支えることになりました。

実家が自営業だった為、世間のお休みの日は稼ぎどきでした。保育園がお休みの時は別の託児所に預けられ母と別れ際に大泣きすると保母さんにほっぺたを平手打ちされたことは今も忘れられない記憶です。

こんな体験から子どもが小さいうちは家にいて「お帰り」と言ってあげられる様にしようと思っていましたがそう出来ない現実が目の前にありました。

この頃から生きる意味や自分自身の生き方について深く考えるようになりました。どう生きていくのか、自立しなくちゃと思い始めました。

光波

そんな日々の中でも子ども達は成長し、思春期を迎えていました。子ども自身の葛藤とどうしてあげることも出来ないもどかしさでいっぱいいっぱいになってる時にマヤ暦と出会いました。人はみんなそれぞれの役割、使命、魂の方向性を持っていて感じ方も考え方も違う。違いを認めることで人間関係がスムーズになり自分自身の思いグセからも解放されると。ずいぶんと生きやすくなりました。子どもの受け入れがたい言動も一歩引いてみることが出来るようになり子どもの言動の奥にあるもの(意図)に意識が向かう様になりました。そんな体験を通してもっとマヤ暦を知りたいと思うようになり勉強を始めるとマヤ暦を深める為の道筋がひかれていました。見えない存在にしっかりサポートされ導かれていたようです。

マヤ暦が縁で出会った多くの方々。産まれた場所も育った環境も嗜好も年齢もそれぞれだけどマヤ暦という共通項だけで話は尽きません。「インラケッチ」(あなたはもう1人の私)」お互いを認め尊重出来る人間関係。素晴らしいと思いました。

好きなこと、やりたいことをやり続けた結果。今は私がマヤ暦を自宅サロンやzoomなどでお伝えさせていただいています。私の今までの経験を通してクライアント様に次の一歩へ向かう後押しが出来れば幸いです。

意識が変わることで新たな出会いもありました。

陽だまり笑堂のメンバーとの出会い。メンターである森先生との出会い。

1人1人が自立していて依存し合わない。厳しさの中にも優しさがある。とても心地よい関係が築けています。

ここ数年で身につけたチャネリングやシリウスエネルギーの施術。 これからも研鑽を重ねその時々の今出来る最善をクライアント様に提供していこうと思っています。


1970年高知県高知市生まれ。福岡県在住
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